書家・原 奈緒美
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ギャラリー

個展/2017年 - 雪と恋 - 書・原 奈緒美展

作品Ⅰ

「雪」

「炎の翅」

「しづか」

「雪」

「恋」

「八重桜」

「ゆき」

「人恋し」

「はるの夜」

「自在」

「晶子恋歌」

「舞扇」

「流麗」

「夏帯」

「恋するや」

「ももの花」

「夏の月夜」

「いのち」

「恋」

「桜」

「はるのくろ髪」

「山の鶯」

「ほのほの翅」

「かぜの音」

「海もえぬ」

「しめやかに」

「椿」

「雪の音」

「河」

作品Ⅱ

「舞ごころ」

「雪 白く 積めり 」

「みだれ髪」

「もがみ川」

「あなたの心」

「あなたの為に」

「雪ふらば」

「やは肌の」

「こひうた」

「雪」

「ひかり」

「雪」

私にとっての魅力ある書とは

 初の個展開催を決め作品の構想を考える中で「私にとっての魅力ある書とは何か」の命題をかつてないほど自問自答することになった。当然、個の作家の顔が見えるべきであるし、その主張があるべきで、綺麗ごとではなく自らをさらけ出したいし、果断に作品を世に間う姿勢もほしいと願う。

 そうした中で浮かび上がってきたのが、やはり私の原風景とも言えるふるさと新潟の雪げしきである。ふるさとを離れてすでに三十余年を過ぎているからこそ、自らの中で美化されているのかもしれないが、あの雪げしきは胸がしめつけられる位に懷かしくていとおしい。雪のふる日は本当に静かで、色も音もすべてをのみこんで静まりゆく。その大きな静寂。泰然とした静の世界。

 ここ最近特に私は「高野切第一種」の中にその雪げしきを見る。そしてそのけがれのない透明な美しい白からうかびあがる鮮明な黒は、あたかも雪の中で見え隠れする木々のシルエットのようにも感じるし、雪の中からわずかに見えてくる土のありようとも思う。静かで暖かくてしずまりゆく雪げしきのような白の世界を是非とも書きたいと願う。

 その想いの中でまず仕上げたのが今回展の卷子「しづか」である。師榎倉香邨先生からは常に「古筆(古典)の何をとるのか」とつきつけられる。高野切第一種の中に私が見いだす最大の美の魅力は何といってもその「静けさ」と「白」の美しさといえる。どうしてもそれが欲しい、その想いで書いた巻子「しづか」である。

 そしてもう一つその想いを「雪」という作品でも表現した。これは母丸山翠蘭から譲り受けた古い障子の紙、紙の端はやぶれすすけているが、その中にうかびあがる一すじの桟の白さ、その美しさに心魅かれ、障子の向こうに音もなくふりしきる雪をイメージし「しらぬまにつもりし雪のふかさ哉」と久保田万太郎の句を書いた。(案内状に揭載)音をすいこんで静まりゆく雪げしきとほのかな雪あかり、そんな表情が出せればと願った。

 それからやはり外せないのが与謝野晶子の恋歌から発せられる激しい恋情である。
明治という時代にあって自己の真実を包み隱さず「女なればこそ」と大胆に歌いあげたその晶子に、その歌に、どうしても心がゆさぶられる。「かまうものか」というょうな己に正直なその果敢な姿勢に、一つのあこがれと理想の姿を私はもとめているのかもしれない。古筆でいえば「香紙切」や「本阿弥切」でその情のほとばしり出た胸のすくような大胆な表情を作品「炎の翅」で表現したいと願った。(案内状掲載)

 この度の個展のタイトルを「雪と恋」と名づけたが、雪に象徴される静けさと白、恋に象徴される大胆に生を謳歌するたくましさと激しさ、その相反する二つの要素がやはり今の私にとっての「書きたい書」ともいえるし「魅力ある書」とも言えるのだと思う。

 そしてもう一つ、私が気になっている古筆「一条摂政集」にも今回向きあいたいと願った。一条からはその自由自在にくり出される単純形のたくましさがほしいと思う。小気味よいほどに単純形の文字をグングン続け集団を形づくっていくそのエネルギーは、完成された典雅な高野切第一種とは一味違い、情のほとばしり出た民衆の力やたくましさを感じる。枕草子をとにかくかまわずにグングン書いた作品が巻子「自在」である。五メートル近くも書いたが本当はもっともっと書きたかった。

 今後、年齢や経験を重ねることで、これらの想いは方向を変えるか、あるいはさらに熟成されていくのかはわからない。

 この個展を機に皆様方のご指導やご助言をいただき、さらに深く自己というものを掘り下げて、この深遠なる書の世界にのめりこんでゆきたいと今は切に思っている。

2017年・個展によせて・原奈緒美

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